2010年5月19日水曜日

初夏の北鎌倉明月院


 北鎌倉、円覚寺と建長寺の間、小川沿いを登っていくと目立たない門構えの内側に赤い西洋シャクナゲの花を満開に付けた木が見えてきた。多分、シャクナゲだろうと思ったが、少し様子が違うので、寺の関係者に尋ねたら「西洋シャクナゲ」という答えが返ってきた。多分、この寺の名物の一つだろう。これを目当てにこの時期、ここを訪れる人もあるのではないか。
 初めて、このお寺を訪ねたが、こじんまりとして手入れの行きとどいた女性に人気が出そうな佇まいである。寺の由来や歴史は全く予備知識なし、カメラを手に庭木や花を撮影に行った。パンフを観ると季節の木花、草花が季節ごとに書かれている。実際に庭に入ってみると、様々な花が咲き誇っている。今は、バラがピークを迎えて、どこへ行っても綺麗だが、ここは日当たりも良く、よく育ち、よく手入れしてある。季節ごとにこの庭を訪れる価値はありそうだ。

2010年5月7日金曜日

素晴らしく手が行きとどいた富岡西公園


 5月4日の早朝から京急富岡駅を経て、富岡川の川辺を富岡西公園に向かって細い道を辿ってきた。途中、水の流れと共に心なごませる幾つかの自然を目にしながら最後に厳しい石段を登りきると同公園の管理事務所があり、早朝から二階の会議室から声が漏れている。どうやら管理組合のスタッフの皆さんが打ち合わせをしているようだ。時刻は朝の8時前後、野球場にもテニス場にも人影はない。ふと「なぜ4時ごろから貸さないのだろうか」との疑問が頭を過ったが、それは早起きの人には問題がなくても、周りの住宅に迷惑がかかるからだと思い納得した。こういう住宅地に公園を造れば、致し方ないだろう。
 しかし、それにして綺麗に管理されている。相当のコストが掛かっていることは容易に想像できるが、ボランティアの皆さんの尽力もこれに加わっているようだ。従って、我々住民の義務は汚さない、壊さないことだろう。折しも藤棚の藤は満開の一歩手前、花壇の牡丹は見事な大輪の花を咲かせている。この時期、周りの山々の新緑に交じって藤色の花を付けている山藤を沢山見かける。桜の木の多さと藤の木の多さを知るのはこの時期だ。それだけに桜と藤は日本人に深く愛されてきたということなのだろう。そんな想いを抱きながら春の風景を眺めるこの頃だ。

2010年5月5日水曜日

富岡川という川があるのを知った


 今日は5月5日、子供の日である。早朝6時前に仕事を一段落させて、カメラを持って出かけた。あまり具体的な目的はなかったが、能見台の駅に出て、鎌倉街道を線路にそって富岡駅に向かって歩いた。先ず、ジョナサンで朝食を摂るためである。朝早いと腹が減るので、よくこのレストランは愛用している。朝食後、富岡西を通って帰ろうと思い、富岡駅のガードを越えて左に曲がった。炉端の標識に「富岡西公園」方面と書いてあったので、細い小道に足を向けた。しばらくすると水音が聞こえ出し、道に沿って清流が流れていることに驚きながら、道をたどった。こんなところにこんな川があるのかと思って歩いていると写真の看板に出会った。もともとここに川が流れていたらしいが開発により、新しい流れに代えられて下水道局により管理されていると書いてあった。いずれにしても「富岡」と言う地名が物語る地形が存在していた土地であろうが、今こうやってその面影というか名残が感じられる幸せはこの地域に住む人の財産だろう。
 源流はどうなっているのかは定かではないが、かなりの水量が随時放流されていた。この水はやがては幸浦の海に流れ込んでいくものと思うが、能見台にはない富岡の風物詩かも知れない。

2010年5月2日日曜日

木曽檜を訪ねて


 25日から中部地方の旅に出ていました。目的は南木曽の勝野木材を訪問して、森林ビルダーパネルの生産の可能性があるかどうかということだった。朝からあいにくの雨模様、長野県の最南端、中津川の上部に位置する南木曽町まで約100kmということで、宿泊していた平山ゲストハウスから2時間以内で十分に行ける行程だった。この先の木曽福島には年に4五回は来ることがあるので、非常に親しみを持っている。愛知の実家も隣の付地というところのヒノキ材と大工さんによって20年ほど前に新築された。
 さて、木曽檜というブランドもいわゆる200年モノ、300年モノは稀有だそうで、伊勢神宮の遷宮用の資材の調達も大苦戦だということで、結局全国から集めざるを得ない状況だとか、戦国、江戸時代にかけての築城や大型神殿等の建立が乱伐を招き、資産の枯渇を生んだそうだ。今、近隣に生えているのはその子供であり、100年にも満たないもので、その切られた年輪を比較してもその密度には歴然とした差がある。と言ってもまだ植林された木曽檜は他県のモノと比較すれば圧倒的に強度の基準が高いようだ。
 訪れた勝野木材は日に500本の檜の製材を行い、年間二〇〇〇〇〇本の処理を行い、木祖村の栗屋村長さんの話によると、県下では檜の生産量NO.1を誇っているそうだ。二代目の社長が約、2時間設備や在庫を見せていただきながら説明を頂いた。木に関わる仕事をしている者の共通の願いは木による循環型の消費社会を造り、環境保全、温暖化防止に貢献すること。ビルダーパネルも材料の価格の低迷により、すぐには難しいが、これだけの処理量があるから、機会を観て考えましょうということで、話は終わったが、それで十分。
 今、長野県のこの地域は行政の指導で「唐松」の植林が行われたものが収穫の時期に入り、それを商品化する活動が行われて、勝野さんでは、かなり製品化に自信を持っておられるようだ。反りや曲がりが大きい素材の特徴に逆らわず、使いやすく処理する方法は「自然素材」と付き合う原点な筈である。出来れば、お手伝いをしたいと考えている。
 寒川神社の材料も勝野さんから供給されたモノであり、ご紹介いただいた栗屋村長さんは伊藤阿耶雄さんの御親戚、日常の活動域にこの「縁」もあった。